予祝を考えると

予祝を考えると無理に夢を見つけたりしなくてはと考えることもあります。

実は、僕も無理やりに予祝をしていた時がありました。強引にやりたいことを見つけて、無理やり意識してみたりします。

これを続けても疲れるしなんか楽しくないのです。

僕は、最近感じるのは無意識に予祝ををして生活しているのではないかと。

「こんな風になりたいな」とか「こんな感じにしたい」という具合に、日常に予祝が含まれているのです。

今日は、本屋さんにいって、これを買ってご飯食べてこんな感じかな?デートとかする時は、(今はしませんがw)ある意味、予祝でプランニングしているような感じでした。

これは、楽しい事をイメージして日常に落とし込む状態を楽しんでるから考えてるとワクワクします。

自分の想定の日常を越えた予祝は、楽しいところもありますが「叶わないかも」って心によぎった瞬間に劣等感になったりします。これは、悲しくなりますよね。

楽しいイメージが欠乏に変化してしまうと。

無理に夢を語るワークとか、自己啓発セミナーでしたことがありますが、噓ついてるみたいで楽しくないのです。むしろ自分には夢がないという劣等感で「チーン」として帰宅したことを思い出します。

主催者側の輝きに打ちのめされる感じですw

おまゆめは、日常の生活をメインに考えています。今を楽しくしないと夢にも出会いません。今を楽しく、夢のアイデアを出すのが、楽しい、そしてしょーもない雑談・下ネタを大切にしています。

この「おしゃべり」が脳を刺激して、日常の予祝を上手くしていきます。

そして気づいたら、夢と出会える。

無理に行き成り夢を話しても、今の自分の経験値でしか語れない程度のものは、自分が創り出したウソ夢かもしれません。

自分の創り出したウソ夢で本来求めているもの以外に執着して辛くなるのは、モッタイナイと思います。

自分の予祝を自体を理解するところから「おまゆめ」は、ご案内しています。

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