昨日は、ラジオ聴いてくれてありがとうございました。
僕たちがもともとであったのは株の学校です。
そしてそこで株に囚われる自分たちを、何とかしてやろうと心理学に行きました。
そんな当時の先生でありその学校の代表が藤井さんでした。
当時は小さな学校でしたがこの数年でものすごく大きくなっていました。
ほんとラジオでも暖かい感じで3人が話してましたが当時はビリビリでしたよ(笑)
「何なんだこいつは?」
三者三様で思っていたと思います(笑)
心理学にいったのも株の学校で居場所がなくなってしまったのかもしれません(笑)
僕のいまのお友達は心理学に行った後の人が99.9%ですので、その前を知る0.2 %がこの藤井さんとリカちゃんです。
大変貴重な二人ですが
この二人
残念ながら他人に全く興味がなく
そんなことを覚えてしません(笑)
懐かしく当時を語りながら
いまの「おまゆめ」を始めるきっかけをくれたのも彼です。
1日に二回、偶然、国鉄会館の前で夕方と夜中に出会い
言った一言が
「なんだ君たちは!」
「つきあってるのか?」
(ません)
「占い師やってるのか?」
(ません)
という
久しぶりに会った人かける声としては
デリカシーとは無縁な切り口でした(笑)
そこが彼のいいとこで、僕たちとそっくりな切り口です。
当時、株の学校で心理学やっていいから
なんか作ってもってこい
というのがスタートで講座を作るようになりましたが
そのご音信不通で(笑)
えっ
「まぁ」
「いいもの作ったし」
「自分たちでやるか!」
そんな流れではじまったのが「おまゆめ」です。
当時、ほんとに
性格的に無理(笑)だと思ってた人から切っ掛けをもらい
スタートした「おまゆめ」
そしてラジオやりはじめて
いつかゲストに来てほしいなって思ってたのですが
当時、近い存在の藤井さんは、雲の上の存在となり
死んでないですよ!(笑)
呼んでも来てくれないだろうなって声をかけることもできませんでした。
そして
また、いきなり出会うタイミングが訪れて
今回の放送となりました。
大変に不思議な縁です。
よく、リカちゃんが言う
「縁があればまた会えるわ」
です。
リカちゃんに出会った当初から言われて言葉です。
当時は、非情な言葉と感じたときもありました。
最近、この言葉の意味を考えます。
なんか
さっぱりした
人の気配のしない言葉だと思ってましたが
柳沢慎吾の「あばよ」みたいに(笑)
この言葉が深く
無理に続けることの意味もなく
タイミングが合わないものが
そこに存在しても不幸でしかないということなのかもしれません。
売り手と買い手がいなければ成立しない
売り手だけで無理に、起こされた買い手は、
渋々思い込みで買うのであれば不幸である。
好きな人と嫌いな人がそこにいても辛くなる。
当時は、もしや波長があわないだけで
人としては嫌いでなかったのかもしれない?
バイバイしたからこそ新しい出会いもあるし
戻ってくる出会いもある。
投資でいうロスカットという非情な言葉
この非情な言葉は、勇気であり
お互いの
次への挑戦と出会いをつれてくる
「縁があれば会いましょう」
そんな当時を知る三人が今、考える投資の話をしてみました。
二人の話の空間にゲストを呼ぶ難しさ
中途半端な紹介は誰の為にもならない。
これは真夜中の「おまゆめ」コダワリです。
それを淡々と紹介しても聴いてくれた人も出てくれたゲストも時間の無駄になる
ゲストの回は特に緊張して大切に構成します。
本当に、「おまゆめ」らしい素敵な放送となりました。
「縁があれば、また出会う」
まさにそんな放送でした。
カブックスの藤井代表
本当にありがとうございました。
来週も再放送があります。
きっと
「縁があれば聴いてくれる」のではないかと思ってます。
ベクトルでいうと「投資」というリアルな現場と
「縁」というやや雲を掴むような話
真逆な感覚が当時の僕を気持ち悪くさせた言葉
「縁があればまた会える」なのかもしれません。
「あばよ」
「縁があればまた会いましょう」
は
愛のある言葉なのです。
だから人の心に残るのです。