こんにちは。サカッキーです。解釈の仕方で世の中の見え方は、変わります。なぜかというと見え方というか、正確には見た事、起きた出来事を脳が感じて(あるままのニュートラルな状態)解釈して現実として受け止めているからです。
意味わかりますか?
僕が思うキャバクラとあなたが思うキャバクラは違うんです!
僕には、キッズな娘がいるんですが、表現が謎ですね(笑)
僕が見るコーヒーと娘が見る、正確には脳が感じるコーヒーは違うのです。
僕は、スタバ→コーヒー→飲みたい→いいにおい→時間が潰せる。など連想ゲームをとっさに脳がします。感情的には、快に振れる要素です。
うちの娘は、スタバ→コーヒー→くさい→なんか嫌→コーヒーはパパが好き→パパが嫌い。 感情的には、不快でイライラしています。
とまぁ。コーヒーもスタバもそこに在るだけで、自分勝手な解釈が存在して感情が生まれます。
これが脳のお仕事です。
だから、よく捉え方を変えることで楽になるというのは、こんな感じの話です。
はいはいはい。わかっております。わかります。承知しております。
わかってるんですが、なかなか普段使いが難しい。
全てがニュートラルになると生活しやすくなりますが、ロボです(笑)
「ここにコーヒーがあります。」「ここにキャバクラがあります。」
これだとワクワクさんがありません。たぶん生きやすくなると勝手なイメージを持ってますが、どっちかというと変態扱いされて生きにくいと思います(笑)
最近思うことがあり、色々な事を学べば学ぶほど、手法や言い方などが巧みになり周りくどい自分になったと感じています。
もはや、文章が数年前に比べ周りくどいです(笑)
ただ、これは、学んだことを否定するわけでなく、学んだからこその、気付きでありそこを選択(いる・いらない)できるようになったのは、やはり学んだことの成果であると感じます。
早い話、こうゆう考え方がまどろっこしくややこしく感じるわけです(笑)
好きか嫌いか。金が欲しい欲しい。
の過去の自分は、単純でありストレートです。
ストレートさに都合のいい解釈を「おまゆめ」で全力に伝えていきたいと思ってます。
人間て、成長すればめんどくさい。それは、知識が増して解釈のメニューが膨大になるからです。純粋で単純なことをきっと僕は望んでいるのだろう思います。
「おまゆめ」では、夢を話してもらいます。まどろっこしい話をすれば、するほど「どう」したい「どう在りたい」が出てくるのです。
軸はそれから決めてください。
順番が違うんです。ややこしくなってる時に、軸を決めるから、ややこしく軸だと思い込んでる軸もどきにしがみついて離れられないのです。
リカちゃんとご飯を食べると伝票は、こちらに置かれます。(僕が老けてるてこと?)(いやきっと男子だからだと信じたい。)
若い男の子といったとき、若い子の方に、伝票がおかれました。(僕が貧乏に見えるってこと?!)
解釈でイラつくのも話しのネタになるんです!
そーゆう解釈ができればね(笑)
ちなみに
解釈と介錯て違いわかります?介錯は、切腹のシーンなんか時代劇でてきますよね。「介錯つかまつる」みたく
介錯の語には「補助する」という広い意味があるんですね。
演劇なんかでは、幕の開閉や役者の動作の補助などを介錯と呼ぶんですね。
あなたの夢の幕の開、不要な解釈の閉、人生劇場のスタートの解釈の介錯を「おまゆめ」が担当します。
だからややこしって(笑)
楽しいから遊びに来てね。 サカッキー。