サカッキーです。
わたくしには父がおります。
あまり話す事もなく
気が付けば70ウンさい?
年齢も誕生日すらわからないぐらいです。
何か酷い事されたわけでもなく
育てていただきましたが
仕事人間で家にいないせいか
幼い時から苦手で
地球で一番苦手な人かもしれないというぐらいです。
そんな父に偶然、ばったり会いまして
立ち話をすることになりまして
2時間ほど会話をしましたが
大げさでなく10年分は話したであろう2時間です。
やはり自分も何か常に気がかりでこのままでいいのか?
何時までも生きていてくれるわけではないという気持ちも
どこかであるのか
神様がいたずらで引き合わせたのか?
色々なことをギクシャクですが話てみました。
過去の自分なら言えないようなことも
プライドをなるべくww
捨てて話したりしまあした。
やはり苦手ですが・・
少し前進した気もします。
2人とも歳をとったのか
僕が子供だったのか
いや今でも父からしたら子供ですねw
ね
常にここ数年気がかりに思っていたし
思考が現実化したのか?
そして
行動と発言というのは
大切かもしれません。
以下 引用します。
何かをしようと思ったら、何かを人に伝えたいと思ったら、まずは
自分から何か行動を起こさなければすべてが動き出さない。人は自分の思いにはなかなか気づいては
くれないものです。
思う念力岩をもとおすとか、思いは通じるものだとか言ってもそれは特定の人の間だけのことであって
普通には言葉にするとか行動にしなければ、どんなに良い考えであっても分かるはずがないのが当たり前。
こんなことを言ったらカッコ悪いとか、馬鹿にされるのじゃないかとか思う前に、まずは自分の頭で考えて
良しとなったら口にしてみたり、動いてみればまた違った展開があるかも知れないし、人の見る目も変わって
くるかも知れない。
どんなに良いことを思いついても、どんなに良い考えであろうとも、どんなに良い行いであろうとも
自分から発信しなければ誰も気がつかないし、誰にも認めてはもらえない。
自分が何を言うべきか、何を言うことを期待されているか、自分の立場で何が言えるのか。
とまぁ
セミナーしたりYOUTUBEでも
このような話は自分も話たりします。
これは何を引用したのかというと
70過ぎの父がブログ的な感じで書いた文章です。
話した時になんとなく書いてるから読んでみて
なんて言われて読んでみましたが
やはり越えられない何かというか
30年以上も遠く離れた感じはしていましたが
心の中というか遺伝子はしっかりと受け継いでいたんだなって思います。
そしてわざわざ他人様から学ぶとうい選択をして
たどり着いたような現在
不思議な感じがします。
登山口は違うけど山頂は同じというのか
山の続きの景色を見たくなってきました。
プライドをもっと捨てないとね。
まだまだ勉強することがたくさんありますね。
私には。